目に見える世界

エッセイ

目の前に広がる世界は、いままでとは全く違って見えた・・・。

これは誇張ではない。

心から、本当に心からそう思い、そのあと私は今までの自分を呪ったのだ。

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先日、天気もよかったので、家族で近くの大きな公園へ散歩に行った。

その公園は競技場、スタジアム、プールと本格的な運動を目的とする立派な公園で、のほほんと一周しても軽く2キロほど歩くような広大な敷地を持つ。

4月になったばかりとはいえ、日差しがかなり強かったので、光が当たるとレンズの色が変わるメガネをかけることにした。
私は普段、車を運転するとき以外、メガネをかけない。
日常生活に支障はないし、本も読めれば、仕事にも問題がないからだ。
だが、免許更新の時に引っかかる程度には目が悪く、夜になると標識が見えずらいので車にはかならずメガネが置いてある。
光が当たると色が変わるメガネは最近、夫の勧めで替えたばかりだった。
私は片頭痛持ちで、特に光と気温と気圧の変化に敏感で、これらの刺激が強いと、途端に具合が悪くなり寝込んでしまうのだ。
頭痛が起きるたびにつらそうな私を見かねた夫からの、ほとんど命令に近い提案であった。

光が当たると、色が変わってサングラスになる。

そんな便利なメガネがあることを私は知らなかったし、
高性能なだけに高いかと思ったらそんなことはなく1万円ちょっとで購入することができた。
運転しているうちに、車に光が差し込んでくるとゆっくりとレンズの色が茶色になっていく。急激な変化がないので、かけていても違和感がない。
私のドライバー生活は格段に快適になって、たちまち手放せない一品となった。

そんな大切な相棒だったが、ずっと箱入り娘ならぬ箱入りメガネで、運転以外に使ったことはなかった。
外で使う必要もなかったし、使う気も全くなかったのだ。。
けれど日差しの強いこの日、相変わらず無防備な私に、夫は困ったように「かけなさいよ。また頭痛になるよ」と半強制的に命令をした。
そんなわけで、とうとう、箱入りメガネは外界デビューとなったのだ。

4月のはじめだというのに、初夏並みの気温ですれ違う人たちは半袖のいでたちの人が多い。
広い競技場では高校生たちがやり投げやら幅跳びやら練習にいそしんでいる。

吹いてくる風も気持ちがいい。家族と談笑しながら歩く私の足取りもどんどん軽くなってくる。

しかし・・。

歩いているうちに、私はあちこちに止めて寄り道をしはじめていた。

無意識に、だ。

樹の表面ってこんなに白かったり不思議な形をしていたっけ?

とか

蜘蛛の巣ってキラキラしてこんなに表情があるんだっけ

 

とか

気が付くとふらふらと吸い寄せられるように見に行ってしまうのだ。

透き通るような青空にぽっかり浮かぶ雲はどれも形が違っていて、
絵にかいたらどんな絵の具を使えばいいのかわからないほど不思議な色合いをしていた。

散ったばかりの桜の花びらは、まるでピンクの絨毯のようで美しい。

若葉はツヤツヤとしていてどの葉っぱもイキイキとして、「緑色」と表現するにはもったいないくらい様々な表情をしている。

その中には生まれたての小動物のような繊細なうぶ毛で覆われていて、思わず触れてみたくほどかわいらしいのもいる。

早く咲き始めたツツジはきれいな赤色の花を披露していたが、どの色も微妙に違って、まるで色の見本表のようにカラフルだった。

そのうち、私があまりに足を止めてあちこち観察して回るので、夫が不思議そうに言った。

「どうしたの。なんだか子供みたいだよ。」

そこで気が付いたのだ。

 

 

ああ、メガネだっ。

すべてはメガネのせいなのだ、と。

 

いままで見えていた世界と、今日見る世界は全く違っていた。

試しに、メガネをとって裸眼で見てみると、いつもの風景だし、メガネをかけると、焦点が合うせいなのか、
すべての色がはっきりと存在を主張しはじめたのだ。

こんなことってあるだろうか。

メガネをかけた世界と、かけていない世界。

こんなにも違うものだろうか。

メガネって・・・偉大なのだ。先人たちが作った世界の大発見の一つであろう。先人を尊敬する。心から尊敬するぞっ。

私はもはや呆然としてつぶやいた。

 

どれだけ、私は薄ボンヤリした世界で生きてきたのだろうかっっっ


どれだけの美しい景色を私は逃してきたのだろうかっっっ

と・・。

 

夏に行った富良野のラベンダー畑の薄紫色も
満開の桜のはかなさも
キラキラ光る川面の表情も
鏡に映る自分のシワでさえも・・・

はっきり見えなかったせいで、きっと私は見逃していたにちがいないっっ

なんともったいないことだろう・・・。


(シワはどうでもよいのだが、いやよくないか。)

 

過去の私に盛大に文句を言いたくなる。

決めた。散歩用のメガネを作ろう。

そう、強く決意して車に戻ろうと歩いていたら、今度はあることに気が付いた。

すれ違う人が視線を逸らせるのである。
私が歩くと、すっと、道を開けるのである。

こ、これは・・・。

デジャブである。

母がよく、歩くだけで同じような反応をされていたことを思い出した。

この身長170cm、服は迷彩柄、そして今回初めてかけるサングラスと独特な歩き方・・・。

私の立派なガタイと風体に対するみなさんの過敏な反応のようである。

私はそうなるまいと思っていたが、同じような年齢になって、母と同じような反応をされるとは・・・。

脈々とつづく、おそるべきはDNA、である。

メガネをかけたせいで、こんなことにも気が付いてしまったのである。

助手席に乗り込んだ時、いつもより疲れを感じたのは、きっと1000歩のウォーキングのせいだけではないだろう。

もう一つ、心にきめたことがある。

周囲に威圧を与えるように肩で風を切って歩く癖から一刻も早く抜け出ようと・・・。

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